マクロビオティックとは?|横浜市青葉区藤が丘|お料理教室やバレエ・ヨガ・エクササイズ

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マクロビオティック (Macrobiotic) とは、長寿法を意味する。

第二世界大戦前後に桜沢如一が、自ら考案した食生活法や食事療法の名称として広めたことから、現在ではこの意味で用いられることがほとんどである。食生活法は欧米でも普及している。後者の食生活法は、「玄米菜食」「穀物菜食」「自然食」「食養」「正食」「マクロビ」「マクロ」「マクロビオティックス」「マクロバイオティック」「マクロバイオティックス」とも呼ばれる。また、マクロビオティックを実践している人のことを、マクロビアンと呼ぶこともある。
マクロビオティックの語源は、マクロ+ビオティックの合成語である。
語源は古代ギリシャ語「マクロビオス」であり、 「健康による長寿」「偉大な生命」 などといった意味である。
18世紀にドイツのクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが長寿法という意味合いで使いはじめた。マクロビオティックはフランス語など、ラテン語系の言語での発音を日本語表記したものである。英語ではマクロバイオティクスに近い発音である。

玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。おおむね以下のような食事法を共通の特徴とする。


起源

思想的な基盤は、食育で著名な明治時代の薬剤監であり医者であった石塚左玄の食物に関する陰陽論である。桜沢は左玄の結成した食養会で活躍することを通して食事療法(食養)を学び、独自に研究した。

左玄の著書に『化学的食養長寿論』というものがあり「化学的」と冠しているが、左玄は当時の科学に敬意を持ち当時の栄養学では重要視されなかった栄養素のナトリウムとカリウムを陰陽のバランスと見て重要視し独自の理論を提唱した。もとが中医学ではないため、この分類は中医学の陰陽論に基づく分類とはかなり異なる。左玄は「白い米は粕である」として玄米には栄養が豊富に含まれていると主張してきた。このことは20世紀初頭の栄養学でも確固として認められてきた点であるが、当時の栄養学には食物繊維の概念がなかったため消化されない栄養素があるとして少し精白した米をすすめた。当初、桜沢は左玄の考え方に従い、鳥・魚・卵を少しなら食べてもよいとしていたが、晩年にそれらも食べない菜食が正しいという見解に到っている。
 
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の病気の原因は食にあるとした。
人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本・菜類を噛みきる門歯8本・肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。
 
居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和する。   当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目し、さらにそのバランスが崩れすぎれば病気になるとした。
   
一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。「白い米は粕である」と玄米を主食としてすすめた。    

展開

初期の頃から、欧米風の動物性食物の多い食事とそれに起因すると考えられる疾病の多発、食肉を得るための多大なエネルギーの浪費や環境汚染や飢餓問題、非効率的な消費や病気の増加による経済的な損失を批判してきた。その後の運動の展開としては、久司道夫、菊池富美雄、相原ヘルマンらが主に海外で、大森英桜、岡田周三、山口卓三、奥山治らが主に国内で広めた。日本国内にとどまらず、世界各地に広がっている理由として、こうした考えが受け入れられている面もある。 マクロビオティックはベジタリアニズムの一種と解されることもある。

桜沢は左玄の陰陽論をヒントに、食品を「陰性」「中庸」「陽性」に分類することを追求した。産地の寒暖や形而上の特徴から牛乳・ミカン類・トマト・ナス・ほうれん草・熱帯産果実・カリウムの多いものなどを「陰性」とした。玄米・本葛粉(他のデンプンを混合した物は、「中庸」ではない)は「中庸」、塩や味噌・醤油・肉などナトリウムの多いものは「陽性」とした。桜沢は当時の科学にも結び付けた。 根拠のないあらゆる独断を排除する懐疑論の立場からは、「マクロビオティックス食事法が健康に役立つとしても、それは偶然である。
なぜなら、マクロビオティックスは食物を物理的品質や栄養学的品質にもとづいて選んでいるのではなく、形而上学的特性で選んでいるのにすぎないからである。」と指摘されている。桜沢は、ルイ・ケルヴランによる生体内で原子転換が起こるという説を支援し『生体による原子転換』『自然の中の原子転換』を日本とフランスで同時に発売した。久司も、生体内で日夜元素が別の元素に変わる原子転換が行なわれていると主張している。

思想としての側面

マクロビオティックはむしろ「思想」に近いものであり、病状などに即して栄養学的にメニューを調整するといった食事療法とは根本的に異なり、生活そのものを改善するような平和運動を伴った思想が根底にあるとされる。
さらに、陰陽思想を食のみならず、生活のあらゆる場面で基礎とすべく、万物を陰と陽に分類する無双原理という哲学を提唱した。そして、この独自の哲学を含む食生活運動へと発展させた。
食養会は、当時の日本が天皇制であったため米はウカノミタマや天皇家の象徴であり神聖であるとして食養を奨励し、当時の世論である国家神道や八紘一宇の世界観から平和的な世界統一観を主張していた。こういった側面は現在ではなくなっている。
宗教学者の島薗進はエコロジー運動とよく似た考えや、宗教的な敬虔さを含んだ日本独自の思想が20世紀初頭にも存在していたという指摘をしている。また島薗進は個々の現象への陰陽の割り当ての方法が恣意的であり、食物の陰陽調和や病気に対する対処の根拠について十分な根拠があるか疑問であると指摘している。

1929年 海外での展開と逆輸入桜沢如一はこれを広めるべく渡仏。
1960年代 渡米して、弟子の久司道夫らとともに「禅・マクロビオティック」と唱えて普及した。アメリカの宗教学者によればニューエイジ運動の推進的なものの一つに数えられる。
1950年代 久司がアメリカでマクロビオティックを広めようとした頃は、当時の栄養学と矛盾していることから大きな反発があったという。
1967年 JAMAは、抑圧的なマクロビオティック食養法に固執することによって引き起こされる壊血病と栄養失調に関する詳細な報告書を刊行した。
1971年 この年にも、米国医師会の食品栄養委員会は、食養法の実践者、特に厳格な実践を行っている者は、栄養失調の重大な危機に直面しているとしている。政府によって禁止措置がとられたこともあったが、久司が風土を考慮し再構築したマクロビオティックを広めていったことで1970年代以降に政府や栄養学会に受け入れられるようになったとされる。
当初アメリカでは、東洋思想への関心から久司らのもとに集まったヒッピー達と共に日本のマクロビオティックの食事を日本語の呼び名で広めていった。
1977年 従来の欧米型食生活が生活習慣病の増加をもたらしているとの反省から「アメリカの食事目標(マクガバン・レポート)」が打ち出され、それを機に伝統的な和食への関心が高まり、同時にマクロビオティックの考え方も見直されるようになった。この食事目標の作成にあたって委員会のリーダであるジョージ・マクガヴァンや原案をまとめたハーバード大学のヘグステッドも久司らと話し合いを行った。
久司はマクロビオティックが大きく受け入れられた象徴的なイベントとして、ハーバード大学が主催しWHO(世界保健機関)がバックアップした国際栄養学会の晩餐に食事をつくることが要請されたとしている。
1999年 アメリカ国営のスミソニアン博物館において、マクロビオティックに関する資料が医療の歴史の資料として永久保存されている。
アメリカではザ・リッツ・カールトンホテルで採用されたり、育児書で有名なスポック博士や前副大統領のアル・ゴア、ハリウッドスターなど著名人にも実践者がいるとされる。
国内では、近年になって歌手のマドンナや、トム・クルーズらが愛好家として雑誌等で紹介され、注目され始めた。そして、健康食ブームに伴って、カフェができたり、ムックなどの各種出版物が刊行されたりするなど、注目が集まった。
2005年 日本経済新聞で1947~1957年生まれの女性の1割以上が実践していると報道された。
2007年 世界がん研究基金の報告では、マクロビオティックはがんの発症を少なくさせると報告している。
穀物を主食として副食と明確に分離するという日本の伝統的な食事は、医学的、栄養学的にも優れていると世界中で見直されている。
poepoe
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